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<新ムーブメントの開発経緯と開発者プロフィール>
開発意図
時計デザイナーの役割は既成のムーブメント(以後機械体とする)を、商品企画に基づいてデザインされた時計ケースに収める事である。社員の頃は、それが仕事であるとして何の疑問も持たずにやってきた。デザイン作業の基本は、素材のとの対話であると、今でも考えているが、内包物の機械体との会話が皆無である事に気が付いた。歴史的に見ると、携帯可能な時計の発明以降400年間以上に渡り機械体は円形が中心になっている。言い換えるとデザイナーは、その間、時計は円形の機械体を納める物であると言う呪縛に縛られて来たと言える。そんな疑問を持った時に、時計師との偶然の出会いがあり、共同で時計を開発することに至った。
着想
スイス時計の歴史400年には絶対に太刀打ちできない現実がある。技術開発の全てをやり尽した感が有るのだが、今なお新しい試みに挑んでいる御国柄。ならば、スイスの二番煎じの試みでは無く、最も原始的な歯車の並び方、つまり、構造の原点回帰を選んだ。
構造
導き出した構造は、一直線上に歯車を並べるという最も原始的で単純な輪列方式である。
デザイン趣旨
機械体が棒状である為に、透明パイプに納めるアイデア。 機械体2本を、1個のケースに納めるアイデア。 いずれも過去に存在しなかった独自のスタイルと成った。
今後の展開と期待する事
新しい遊び心の溢れる愉しい機構を持つ時計の開発を続けたい。 本開発で得たノウハウ、ネットワーク等を、時計造りを目指す人達に提供。 共感を寄せてもらえた個人やブランドとのコラボレーション又、大手時計メーカーのバックアップなどを期待したい。
また母校の在るコペンハーゲンの国立工芸美術館にて個展の計画中。個展を通してヨーロッパでの人的ネットワークの広がりを期待したい。
結び
個人でのムーブメントの量産事例は本邦初の事業である。時計師は、自己の器量内で一つの時計を創り上げる。しかし、量産とは自己完結の創作行動では無く、各専門技術の結集で、デザイナーはディレクターを兼ねる仕事である。
※原 久さん要約

<略歴>
原 久
1950年 長野県に生まれる 1968年 長野県立須坂高校 卒業
1973年 イタリア国立美術研究所(フィレンツェ)入学
1974年 デンマーク王立工芸学校 金工科    入学
1977年 芸術手工賞を女王陛下より賜る
1977年       同校           卒業
1977年 諏訪精工舎(現セイコーエプソン)   入社
1977年 ジュエリーウオッチ部門の設立に携わる ジュエリー製作技法のトレーナーとデザイナーに就任
1979~1985年 ジュネーブ市賞受賞 時計、宝飾、七宝各部門
1982年 2億2千万円を頂点とする日本初のジュエリーウオッチ・コレクションの発表。デザインと製作の総指揮を担当
1988年 セイコーエプソン           退社
1990年(株)瑩 (デザイン会社)       設立
1992~1994年 横浜 岩崎学園ジュエリー科 非常勤講師
1996~1999年 東京 水野学園時計学科   非常勤講師
2002~2007年 ショップ・チャンネルにて、 HISASHI HARAオリジナルウオッチの販売
2010年 K&Hムーブメントの開発を小堀康広と開始
 <K&H>オフィシアルサイト

小堀 康広
1951年  東京都に生まれる
1969年  東京工業高校            卒業
1971年  芝浦工業短期大学          卒業
1972年~ 高千穂工業設備設計事務所         川崎製鉄(株)溶接部門
1974年~ 横浜東亜モータサイクル (株)ブリジストン自転車組立部門
1985年  (有)雪谷輪業社          設立
1986年  時計ムーブメントの研究と製作を独学にて始める
1999年  水野学園ウオッチメーカー科     入学
2000年      同校            卒業
2000年  時計修理三級技能師         取得
2010年  K&Hムーブメントの開発を原久と開始 <K&H>オフィシアルサイト

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